Be Freeなマイ日

かに座のさこ☆です。看護師&保育士をしています(*^_^*)

小4娘の決断

 

 

「どうして私はみんなと同じように出来ないの?」

 

そう言って泣き崩れた小4の娘。(名前をSとします。)

 

娘の様子が落ち着いた頃、私は娘に言いました。

 

 

「ねえ、Sちゃん。

お母さんはさ、たとえ勉強が苦手でも、図工がうまく出来なくても、得意なことを頑張っていけばそれでいいんじゃないかと思うんだよ。

 

Sちゃんは、ダンスや習字がすごく上手でしょ?絵を描くのも好きだし、歌を歌うのも好きでしょ?

お母さんは、それは勉強が出来るのと同じくらい素晴らしいことだと思うんだ。

それぞれみんな、得意なこともそうじゃないこともあって、それは人それぞれ違うし、Sちゃんにもちゃんとそういう得意なことがあるじゃない?

将来、勉強が苦手で困ることはそりゃあ、ちょっとはあるかもしれないけど、でも、好きなことや得意なことを職業にして幸せに生きている人も沢山いるからさ。

 

だから、お母さんは無理に勉強を頑張って、みんなと同じように出来るようにならなきゃいけない、とは思わないんだよ。」

 

「ただ、もしSが ″どうしてもみんなと同じように出来るようになりたい!″ って、本気でそう思うんだったら、お母さんは全力で応援するし、お母さんが手伝えることは何でもしたいと思ってるよ。

 

そうじゃなくて、″歌やダンスや習字とか、好きなことや得意なことをもっと頑張る!″っていうんだったら、もちろんそれも全力で応援する!

 

だからさ、ちょっと考えてごらん。

自分が本当にどうしたいのか、どうなりたいのか。

お母さんは、Sちゃんが決めたことなら絶対に全力で応援するから。」

 

 

私はそう娘に伝えました。

 

 

娘は泣きながら私の話を聞いていましたが、

「ちょっと考えてみる…」

そう言って自分の部屋に入っていきました。

 

 

その後、1時間ほど経って娘は部屋から出てきました。

そして、泣き腫らした目で、私をまっすぐ見ながら言いました。

 

「お母さん、私・・・

やっぱりみんなと同じように出来るようになりたい!」

 

娘の表情から、その願いがものすごく切実であることがひしひしと伝わってきました。その一言で、私も覚悟を決めました。

 

「よし!わかった!Sがそう決めたんなら、お母さんも全力で応援する!一緒に頑張ってみよう! それでいい?」

娘はしっかりとうなずきました✨

 

その翌日から、娘と私の″勉強ができるようになるぞ塾″が始まりました。

 

朝5時に起床し7時までの2時間は予習を、娘が学校から帰宅後の2時間は宿題や復習のための時間にしました。

それを土日や長期休暇中も関係なく毎日続け、週1回の学習塾にも通うようになりました。

 

娘の特徴として、

・初めてのことは苦手なので、授業で知らないことが出てくると抵抗感や動揺が起こる

・理解するまでに人一倍時間を要する

・理解した後の記憶の定着にも時間がかかる

ということがあります。

 

 

そのため、事前に家で予習をし、「初めて」の感覚をなくした状態で学校の授業を受けられるようにすること、「あ、これ見たことある、知ってる」という感覚で授業を受けることが、彼女の授業への抵抗感をなくすためにはすごく必要なことでした。

 

また、1つ1つの理解に時間がかかるため、とにかく根気よく説明することと、イラストなどを使って視覚的にイメージしやすくすることも意識しました。

 

さらに、記憶の定着には時間がかかるため、とにかく繰り返し教科書を読んだり問題を解いたりすることが必要だったのですが、この点に関しては時間が足りず充分に出来ないことが多くありました。

それでも、とにかくそのような形で娘は毎日継続的に勉強に取り組みました✍✨

 

本当にえらかったなぁ、と思うのは、その間一度も弱音を吐かなかったこと。

とにかく、まるで修行のように毎日コツコツと、決して好きではない、得意ではない勉強に向き合いました。

娘自身が自分で「やる!」と決めたことが、頑張れるエネルギーになっていたのかもしれません。

私もそんな娘の努力を応援すべく、とにかく2人で必死に頑張った日々。

 

そんな日々がほんの少し報われ始めたのは、娘が小6になってからのことでした。

 

 

…さらに続きます。

 

 

 

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超えられなかった9歳の壁

 

 

 

4歳半の発達検査で「約半年遅れの発達状況」との結果が出た娘でしたが、結局その後詳しい検査をすることなく、小学校入学となりました。

 

低学年のうちは、勉強が得意なわけではないけれど特に困っているという程でもない、少し引っ込み思案な女の子、という感じでした。

 

 

それが、3年生・4年生と学年が上がるにつれ、様子が変わってきました。

「3年生の壁・9歳の壁」

という言葉を時々耳にしますが、娘にとってもまさしくその壁がやってきた感じでした。

一般的に「3年生の壁」とは、社会や理科などの科目が増え、学習内容の難易度が上がることで授業についていけなくなる、というふうに言われています。

娘は学校での様子を全然話してくれないため、授業がわからない、と本人から訴えがあったわけではありませんでした。

ただ、おや?とその異変に気付いたのが宿題にかかる時間でした。

それまでは30分ほどで終わっていた宿題が1時間経っても終わらず、私が教えながら一緒に宿題を終わらせる、ということが増えていきました。

 

 

4年生になるとその傾向はより強くなっていきました。

漢字の問題や単純な計算問題は比較的出来るのですが、文章問題や作文、思考を求められる問題になると途端に手が止まってしまいます。

持って帰ってくるテストの点数も50~60点代が増えてきました。

 

 

そんなある日、帰宅した娘が突然床に突っ伏してわんわんと泣き始めました( ノД`)

 

 

「ど、どどどした!?」

 

 

いつもとは明らかに違う娘の様子に、私は慌てて聞きました💦

学校で何かものすごく嫌なことでもあったのかな?と思ったのです。

 

娘はなかなか泣き止めず、話し始めるのにかなり時間がかかりました。

私が背中をさすり、なだめ、ようやく落ち着いた時に娘から出た言葉、

それは…


 

「どうして私はみんなと同じように出来ないの?」

 

でした。

 

 

そして、

 

「もういやだぁー!」

 

と言って、再び突っ伏して泣き始めました。

 

 

娘のあまりに苦しそうな姿。

その姿に私は胸が締めつけられそうになりました(>_<)

 

″あー…とうとう気づいてしまったかぁ…″

 

 

私はいつか起こるかもしれない、と思っていた出来事が、現実に今起こってしまったことを確信しました。

 

娘が授業に付いていけていないこと、周りの子どもたちのペースに付いていけていないことに私はもちろん気づいていましたが、娘が気にせずのんびりと過ごしていけるなら、それはそれで見守ろう、と思っていました。

勉強が得意ではなくても、ダンスや歌が好きで、習字や絵を描くことが得意だったので、好きなことや得意なことを伸ばしていけば良いんじゃないかな、と思っていたからです。

 

しかし、娘は気づいてしまいました。

自分が周りの子よりも出来ないことが多い、という事実に。

 

この時私は、看護学校時代に習った小児心理学の授業を思い出していました。

 

 

「人は9歳頃から、物事を客観的に見られるようになる。

そのため、他人と自分を比較して劣等感を感じたり、優越感を感じたりするようになるのがこの頃からである。」

 

 

 

まさしく、娘は他人と自分との比較から自分が劣っていることを感じ取ったのだろうと思いました。

 

そう考えると、勉強や他の部分でも苦手や出来ないことがある子だけれど、10歳で客観的に自分を見ることが出来た娘は、精神的には順調に発達出来ているんだな、という風にも感じることができました。

 

しかし、娘は自信をなくし、悩み、苦しんでいます。

 

さて…どうしたものか…。

 

私はしばし考えた後、娘にある提案をしました。

 

 

 

 

 

続きます。

 

 

 

 

 

 

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娘、発達検査を受ける

 

 

 

3歳で言葉の発達の遅れを指摘された娘でしたが、発達相談を受診した結果「大丈夫でしょう」と医師に言ってもらい、安堵した私。

その後、夫の転勤に伴い田舎の小さな町に引っ越しました。

そして、ほどなくして娘はその町の幼稚園に通い始めました🌸

 

 

小さな幼稚園で1クラス10名程度ののんびりとした雰囲気の中、娘はすぐにお友達もできて毎日楽しく通っていました。

しかし、ここでもまた「おや?」という出来事が続きました。

 

 

 

幼稚園の初めての参観日。

娘の様子を見ていると、全ての行動において周りの子よりも動作がのんびりしているのです。

ただのんびり、というだけでなく、折り紙製作などの場面でも先生の説明が上手く理解できないのか、なかなか手が動きません。

給食の準備をするのにもり、帰り支度をするのにも、とにかく時間がかかってしまうのです。

クラスの中はのんびりした雰囲気なので、せかされたりすることはないのですが、とにかく時間がかかるために結局は先生に手伝ってもらったり、近くにいた子が気を利かして手を貸してくれたりしています。

その様子を見て、再び私は不安になりました。

 

 

「ただ性格がのんびりしている…というのとはちょっと違う気がするなぁ」

「他の子に比べると、娘は指先も上手く使えていないような気がする…(~_~;)」

 

 

これは困ったぞ…と思いました。

言葉は少しずつボキャブラリーも増え、発音もはっきりしてきてはいましたが、なにせ自分一人の世界の中で会話をすることが多く(つまり独り言)、対人でのやり取りや口数自体も多くはありませんでした。

そこへさらに行動の遅さや、指先の不器用さも見えるようになったので私は焦りました💦

 

 

 

以前言われた「言葉の教室に行った方が良い」という保育士さんの言葉も、ずっと心の中に引っかかっていました。

田舎だったため、発達に特化した小児科は近くには見当たりません。

地域の相談窓口などに問い合わせ、ようやくその町の療育センターで相談に乗ってもらえることになりました。

 

 

訪れた療育センターでは臨床心理士の方が対応してくださいました。

娘の幼稚園での様子を伝え、発達が遅れているのではないかと心配している話をすると、では後日発達検査をしましょう、ということになりました。

「認知・適応」面、「言語・社会」面、「姿勢・運動」面の3つの領域について調べる、いわゆるK式発達検査です。

 

 

 

数日後、再度療育センターを訪れました。

検査が始まると、どこかソワソワして落ち着かない様子の娘、さらに、何かを聞かれるたびに私の顔を一回一回見上げます。

そんな娘の様子に気づき、私はさらに不安な気持ちになりました🌨

 

 

 

 

 

そして、検査の結果…

 

 

 

 

 

 

 

「年齢相当の部分もありますが…、全体として実年齢より半年ほど発達が遅いようです。」

 

 

 

臨床心理士の先生がおっしゃいました。

 

 

半年…その遅れがどれほどまでの意味を持つのか、正直その時の私にはピンときませんでした。

4月生まれの子と10月生まれの子の違いくらい?だとしたら、遅れは大したことはないんじゃないかしら?と。

先生も「まあ、まだ4歳半ですし半年遅れというと個人差の範囲とも言えます。発達状態については、このままとりあえず経過を見て良いんじゃないかとは思います。

ただ…ちょっと気になるのは、検査中にお母さんの顔を何度も見ていたことと、体がゆらゆらと動く、この2点が気になりました。」

 

 

 


それは私も気になっていたことでした。

「お母さんは、お家で娘さんを結構叱ったりしますか?」

そう先生に聞かれましたが、それはあまりないかな、と思いました。

娘は不思議な雰囲気の子ではありましたが、危険なことや大人が困るようなことは殆どせずに、とにかく歌って踊って絵を描いて、一人でご機嫌に過ごしているような子でした。

そのため、叱るようなシュチエ―ションはすごく少なかったと言えます。

そう伝えると

 

 

 

 

「そうなんですね…自信がないのかな…」

 

 

 

 

 

 

そう独り言のようにおっしゃいました。

 

 

 

 

 

 

こんな風に初めての発達検査は、またもや何かはっきりするわけでもなく、

「ま、様子を見ましょう」という感じで終わってしまったのでした(◎_◎;)

 

 

             

 ※さらに続きます。

言葉の遅かった娘の話

今回は娘の話を書こうと思います。

 

今、娘(S)は専門学校の1年生です。

デザイン系の学校に通っており、自分の夢の実現に向けて頑張っているのですが、小学校・中学校ではなかなか大変なことが多くありました。

 

 

 

まず、「おや?」となったのは、3歳の時。

近所の保育園で、週1回園庭を一般に開放してくれる日がありました。

色々な遊具や玩具を使わせてくれたり、同年代の親子が集まってくるということもあり、私も娘も毎週楽しみに通っていました🐤

そこのベテランの保育士さんが娘のことを大変可愛がってくれて、「Sちゃんって本当に可愛いね!」「見てるとなんだか微笑ましい気持ちになるの。」とよく言ってくれていました✨

 

 

 

娘は、母親の私から見てもちょっと個性的な子だなぁ、と思うところがありました。

両手に玩具を持ってカンカン鳴らしながら歩くのが好きだったり、わりといつも機嫌が良く駄々をこねる、ということが殆どない代わりに、いつも自分の世界の中で生きているような様子(自分で作った宇宙語的な歌を歌う&しゃべる・踊る)で、突然思いついたようにゴロンと寝転び空を見上げる、といった自由な雰囲気の子どもでした🌸

 



 

 

そんな娘は少し言葉が遅く「アンマン(アンパンマン)」「あいさん(ありさん)」などの1語文は1歳半頃から出ていたものの、3歳になっても2語文が少なく、発音も少し曖昧な感じがありました。

母親の私には聞き取れるけれど、他人が聞くとなんて言っているかわからない、ということが多く、また使える言葉数もあまり増えていなかったように思います。

 

 

 

 

ある日、いつものように保育園の園庭開放に行った日のこと。

娘を可愛がってくれていた保育士さんに、前触れもなく突然言われました。

 

 

 

 

「Sちゃん、言葉の教室に通った方がいいんじゃない?」

 

「3歳になったんなら、もう少し話せていいはずだけど」

 

 

 

 

 

 

「え!?」

 

 

 

 

突然の言葉に驚きを隠せませんでしたアセアセ

しかも、「どういうことですか?」と聞く間もなく、その方は他の先生に呼ばれて保育園に入ってしまい、その場には私と「言葉の教室」という響きだけが妙にくっきりと残りました。

 

 

 

「言葉の教室」

正直考えたこともありませんでした。

娘の言葉が少し遅い、ということには気づいていましたが、意思疎通ははかれていると思っていましたし、3歳児健診でも特に指摘はされず。

一応看護師なので、小児の発達については多少の知識はありましたが、それまでは娘に対し違和感も育てにくさも感じたことはなかったのです。

 

 

 

ですから、その保育士さんの言葉はまさに青天の霹靂であり、私は一気に不安の渦の中に突き落とされたような気持ちになりました(゚д゚lll)

あんなに娘を可愛い、と言ってくださっていたのに突然なぜ?という気持ちと、伝えるだけ伝えてフォローもなくいなくなってしまうなんて、という怒りの感情がこみ上げてきました。

しかし、その方はベテランの保育士さん。

沢山のお子さんを見てきている方が言うのだから、無視することは出来ないとも思いました😢

 

 

 

そうして私は、不安で眠れぬ日を何日か過ごした後、意を決して発達相談も受け付けている小児科を娘と一緒に受診することにしました。

先生に事の経緯を話すと、先生は娘に向かって「お名前は?」「何歳?」と話しかけました。

娘は戸惑った様子で声を発することなく、じーっとその先生の顔を見ていました。

 

 

そんな様子を見た先生は、

 

 

「緊張しているんだね。家では話してるんですよね?自分の名前も言えるんですよね?

じゃあ、大丈夫でしょう。あのね、結構聞くんですよ。そうやって保育園や幼稚園の先生に言われて不安になってやってくるお母さんたちの話。でもね、大体は大丈夫なんです。先生たちもお母さんをむやみやたらと心配させるようなこと、言わないで欲しいですよねー」

 

 

と言ってくださいました。

 

 

 

娘に発達の遅れがあるかどうかを確かめる、というよりも、とにかく不安を打ち消したくて受診した私は、その先生の言葉にホッとしてしまいました。

″やっぱり大丈夫なんだ。娘は全然話さない訳じゃないし、話す言葉も聞き取れない訳じゃない。もう気にするのはやめよう!″と。

 

 

 

 

 

でも、その甘い判断が実は間違っていた…ということに数年後に気付くのでした😢

 

 

 

 

 

 

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流産の経験が教えてくれたこと NICUからの景色⑤

(前回の続き…

 

NICUで勤務していた私は、ある日妊娠に気付きます。

しかし、相手の彼には堕ろすことも考えてほしいと言われ、失意の中自分一人で育てる決心をしました。

そんな矢先、勤務中に出血していることに気づきました…)

 

 

 

出血量はそこまで多くありませんでしたが、私は大慌てで婦長さんに事情を話し、早退させてもらうことにしました💦

職場には迷惑をかけてしまいますが、その時の私は自分の赤ちゃんを守ることだけを考えるのにとにかく必死でした😢💦

 

 

 

 

お願いだから無事でいて!

お願いだから元気でいて!

一緒に生きていくって決めたんだから、頑張って!

 

 

 

そう、お腹の子に何度も話しかけながらタクシーで帰宅し、とにかく安静にしました。

 

 

 

 

しかし…

 

その日の夜に大量の出血が見られ・・・

 

 

 

 

 

勤務している病院の夜間救急を受診し産科のエコーで診てもらった画像には、もう赤ちゃんの姿は映っていませんでした…。

 

 

 

あまりに悲しくて悲しくて、診察台の上でも人目を気にせず泣きました。

目はぼんぼんに腫れましたが、いくら泣いても涙は次々と溢れて止まりません。

 

 

 

 

診察を終えた産科のドクターは、

 

 

「出血量も多いし、エコーで見た感じお腹の中に残っている量もそんなに多くなさそうだから、あとは自然と出てくると思います。子宮の収縮を促すお薬と、感染予防のためのお薬を出しておくので、また1週間後に受診してください。」

 

 

 

そう淡々と私に言いました。

 

 

 

 

 

その言葉をどう受け止めて良いかもわからず、私はただただ呆然としていました。

 

 

 

 

その後、助産師さんに車いすに乗せられ廊下に出たところで、偶然一人の女性が通りかかりました。

普段NICUで一緒に働いている副婦長さんです。

泣きすぎて人相が変わっている私の姿を見た副婦長さんは事態をすぐに察したようで、私のところに駆け寄ってきました。

 

 

 

 

 

 

「しっかりしなさい!お母さんでしょ!赤ちゃんはさこさんを見てるよ!」

 

 

 

 

 

 !!!

 

 

 

「あ…ありがとうございます…!」

 

 

 

 

 

副婦長さんの言葉に心が揺り動かされながらも、その時はそう返事をするのが精一杯でした。

 

 

 

 

 

その後、仕事を1週間ほどお休みさせてもらい、私は職場へと復帰しました。

″周りのスタッフの方々は自分をどう思っているのだろう…″

妊娠がわかった時は、嬉しすぎて周りにどう思われるかどうかなんて全然気にもならなかったのに、沢山迷惑をかけてしまった、という後ろめたさもあり、復帰する時にはそこがものすごく気がかりでした。

しかし、そんな私の心配をよそに、周りの方々は普通通りに接してくださいました。

あの夜に声をかけてくれた副婦長さんも「体調、もういいの?」と明るく声をかけてくださり、ホッと安心して私はまた働き始めることが出来ました。

 


 

その一方で、彼とはどうなったかと言いますと…

 

 

 

 

 

彼もちょっとは責任を感じたようで、流産後の静養中、私に会いにやってきました。

流産したことを告げた時、

彼がホッとした顔をしたのを私は見逃しませんでした(;一_一)

それなのに、その後彼は私にこう言いました。

 

 

 

 

 

「そんなに落ち込まないでさ。

また作ればいいじゃん。」

 

 

 

 

 

 

・・・・・

 

 

 

 

 

 

″あー…ダメだ、この人″

 

 

 

 

 

 

 

私の中で完全に終了のブザーが鳴った瞬間でした。

 

 

 

 

 

そんなわけで、私は長年お付き合いしていた恋人も、せっかくお腹に宿ってくれた赤ちゃんも、ほぼ同時に失ってしまいました。

 

 

 

 

自分の大切なものが手の平からはらはらとこぼれ落ちてしまったかのような喪失感。

 

 

 

 

その喪失感はとてつもなく大きくて、心の痛みが癒えるまで1年以上かかりました。

職場に行くと沢山の赤ちゃんがいたのでその度に思い出し…

そういう環境的なものもあって、もしかしたら回復にちょっと長くかかってしまったのかもしれません。

 

 

ただ、そんな中で喪失感を癒すのを助けてくれたもの。

 

 

 

 

 

 

それは、時間と…

 

 

 

 

 

 

あの夜に副婦長さんが私にかけてくださった言葉でした✨

 

 

 

しっかりしなさい!お母さんでしょ!赤ちゃんはさこさんを見てるよ!

 

 

 

 

 

その言葉は、その後も何度も何度も私の中によみがえり、その度に私は赤ちゃんに恥じない自分でいようと思うことが出来ました。

本当に短い時間だったけれど、私をお母さんにしてくれたあの子が見てくれている、そう思うことで私は少し強くなれた気がします✨

 

 

 

 

そして、心の傷が癒えた頃、私は思ったのです。

 

 

 

 

 

流産を経験した私が、このNICUで働いていることにはきっと意味がある。

私は子どもを失った悲しみを知っているからこそ、今までよりももっと、ここにいる子どもたちとお父さんお母さんたちの気持ちに寄り添える看護師になれるんじゃないか。

 

 

 

 

私のお腹に来てくれた子は、私に沢山のことを教えてくれました。

会うことは叶わなかったけれど、私の人生を大きく変えてくれました。

私はあの子に言いたいです。

 

 

 

 

本当にありがとう✨

あなたのお陰で私は今でも、子どもに関わる仕事を続けられています。

世の中の子どもたちを少しでも幸せにしたい

その子がその子らしく、イキイキと輝けるようにお手伝いがしたい

そういう思いで、毎日生きています。

あなたの存在が、私をここまで連れてきてくれました。

あの時、私のところに来てくれて本当にありがとう✨

 

と。

 

 

 

 

 

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流産の経験 NICUからの景色④

私は新卒から数年、NICU(新生児集中治療室)で勤務していましたが、実はその間に自分自身の子どもを流産で亡くしています。

沢山の子どもたちに囲まれながら勤務する中で起こったその出来事は、当時の私にとってやはりとてつもなく悲しく、苦しい出来事でした😢

 

 

今日はその時の話について、書いてみたいと思います。

 

 

 

当時、私には長い間お付き合いしていた男性がいました。

高校生のころからすでに8年以上お付き合いが続いていたので、私はいずれその彼と結婚すると信じていましたし、お互いの両親にも公認の間柄でした。

 

 

ただ、遠距離恋愛でしたのでなかなか会うことが出来ず、彼も大学院生で忙しい毎日を過ごしていたため、なんとなく心がすれ違ってきているような、そんな時期にありました。

 

 

 

 

そんなある日、妊娠がわかりました。

私がNICU勤務を希望したのも子どもが大好き!という理由だったので、妊娠が判明した時も、まだ結婚前である、とか、相手が学生で、とか、本来であれば気にしたり心配したりするべきなのかもしれませんが、そんなことは

 

 

 

まっっっっっっったく!!!

 

 

 

 

気にならないくらい、とにかく嬉しくて嬉しくて✨

妊娠検査薬を手に、今にも踊りだしたいくらい嬉しい気持ちでいっぱいになりました

(≧▽≦)✨

 

 

 

それに…

今思えばよこしまな考えだったかもしれませんが、妊娠したことを告げれば、当時私から離れていきそうだった彼の気持ちがまた戻ってくるかもしれない、という期待も正直ありました。

とにかくその時、赤ちゃんがお腹にやってきてくれたという事実は、私を大きな幸福感で一気に満たしてくれたのです✨

 

 

 

 

 

そうして私は、産婦人科を受診し妊娠の確認をしてから、遠く離れた彼に電話をしました📞

喜んでくれるかどうかはわかりませんでしたが、彼ならきっと私とお腹の赤ちゃんのことを最優先に考えてくれるだろう、と勝手に信じていました。

 

 

 

 

 

 

しかし…

一通り電話で伝えた後、彼の口から出た言葉は

 

 

 

 

 

 

「ちょっと…堕ろすことも考えてほしい」

 

 

 

 

 

でした。

 

 

  

 

 

 

私は自分の耳を疑いました。

頭の中に、普段お世話している小さな赤ちゃん達の必死に生きる姿が何人も何人も浮かびます。

 

 

 

あんなに頑張って生きようとしている赤ちゃんを…

 

 

堕ろす…!?

 

 

何言ってんの!?

 

 

ありえない!

 

 

絶対にありえない!

 

 

 

 

 

 

 

 

一瞬で私の頭の中は、怒りで真っ赤になりました🔥🔥🔥

 

 

そして、電話を切った途端、怒りと絶望と悲しみの混じったぐちゃぐちゃの感情で、私はわんわんと大きな声で泣きました💦💦

その後一週間以上もの間、仕事から帰ると悲しさや怒りが一気に込み上げてきて毎晩一人泣いて過ごしたのでした。

 

 

 

 

 

 

でも、そうしている内にふと思ったのです。

 

 

 

 

 

「いや、いいんだ。もうあんな人はいらない!私が一人で育てる!絶対に一人で産んで育てるんだ!」

 

 

と。

 

 

そう吹っ切れてからは、心が軽くなりました🌞

彼のことは忘れ、子どもとの生活を始めるための準備をしなければ、と、そう思い始めると俄然元気が出てきました✨✊

 

 

 

 

 

 

しかし…

 

そんな決意もつかの間、勤務中ふと異変を感じてトイレに駆け込んだところ、出血していることに気づきました。         

 

 

つづく

 

 

 

生まれないはずの血液型 NICUからの景色③

 

 

 

 

 

 

私が勤務していたNICUでのエピソードには、印象深いものが沢山あるのですが…

この話は特に印象に残っているので、書いておきたいなと思います☆

 

 

ある日、少し早く小さめに生まれた赤ちゃんが入院しました👶

 

 

お腹の中にいた期間も30週(8か月)を超えていたので、健康状態も良く元気に泣きながら入院しました。

私の働いていたNICUでは入院時に全員の血液型を調べます💉

小さく生まれたり、何かしらの疾患を持って生まれた子が入院する場所なので、いつ輸血が必要になってもすぐに対応できるようにするためです。

 

 

その赤ちゃんは、血液検査の結果O型ということがわかりました。

親御さんの中にはお子さんの血液型が何型かを知りたいと思われる方が多く、

そのご両親が初めて面会にいらした時も赤ちゃんの血液型を聞かれました。

 

私がカルテを確認し、「O型ですよ」と

お伝えすると、

 

ご両親は少し沈黙した後に

 

「え!?」

 

 

という反応をされました。

そして、それまで赤ちゃんを見ながらお二人で嬉しそうに面会されていたのに、

急に黙り込み、何か考え込むような様子で帰っていかれたのです。

一体どうしたんだろう…と私もそのご両親の様子が気にかかりました🌨

 

 

 

翌日はお母さん1人で面会に来られました。

が、やはりなんだか元気がありません。

声をかけると、

 

 

「実は…昨日、この子の血液型のことで主人とケンカになって…。

 

主人はAB型で、私がO型なので、生まれてくる子はきっとA型かB型だね、って二人で話していたんですが、

でも、この子がO型って聞いて″それはおかしい!″って…。

 ″子どもは俺の子じゃないんじゃないか″って主人がすごい怒ってしまって…」

 

 

 

お母さんは今にも泣きだしそうな様子で、そう話してくださいました😢

聞くと、ご主人にだけでなく、その話を聞いたお義母さんにも浮気を疑われてしまい、昨日は2人に責められて本当に辛かった、と。

 

念のため、お父さんとお母さんの血液型のどちらかが間違ってる可能性はないですか?と聞くと、お二人ともきちんと調べたことがあるそうで、そこに間違いはないはず、とのことでした💦

 

 

私も内心″これは困ったぞ″と思いました。

これまでも赤ちゃんの血液型を親御さんに聞かれてお答えすることは何度もありましたが、

このようなパターンは初めてです(-_-;)

とにかく、この話を婦長とリーダー看護師に話しました。

2人とも「うーん…」と考えた後、リーダー看護師は言いました。

 

 

「とりあえず、お母さんともう一度話をしよう。ご両親がそんな状態のまま赤ちゃんが退院するのは良くないし、下手したら離婚する、なんてことになりかねないからね!」

 

 

 

そして、リーダー看護師は

 

 

「そういうことで、さこさん!

    明日お母さんが面会に来たら、

    本当に身に覚えがないかどうか

    確認して!」

 

 

と私の顔を見てきっぱりと命じました。

 

 

「えぇぇーーーー!!!! !!( ; ロ)゚ ゚」

 

 

当時、新卒3年目だった私。

そんな若輩者の私に、本当に浮気をしてなかったのか、身に覚えがないかどうか、お母さんに聞いてこい、というのです💦

私はものすごく困ってしまい、

「婦長さん~💦」

と、婦長さんに助けを求めましたが、

婦長さんもニコニコしながら

「そうね、最初にお母さんのお話を聞い  たのはさこさんだし、さこさんの方がお母さんも話しやすいかもしれないわね」

などと言うのです!

 

 

ええぇー!そんなぁ💦

 

 

 

 

内心、

″そんな大事な話は普通、婦長さんやベテラン看護師が聞くもんじゃないの!?″

と思いながらも、私は仕方なく引き受けることにしました(ーー;)

 

 

翌日、またお母さんが面会に来られました。

やはり前日同様、元気がありません。

 

話しかけると、

 

「主人が口も聞いてくれなくて…」

 

と、とても悲しそうな様子です。

 

そんなお母さんのお話を聞いた後、私は意を決して聞きました。

 

「あの…お母さん、こんなことをお聞きするのは大変失礼だと思うのですが、大事なことなので聞かせてください。

本当に赤ちゃんのお父さんはご主人以外にいらっしゃらないんですよね?

その…他に身に覚えはないんですよね?」(どきどき💦)

 

 

 

するとお母さんは、即座に

 

 

「ないですないです!

    絶対ないです!

    本当にないんです!」

 

 

と言いながら、涙を流されました。

 

それを聞いて、

私も慌てて

 

「ですよね?ですよね?

ごめんなさい!失礼なことをお聞きして💦」

 

とすぐにお詫びしました。

 

 

 

そうして、そのことを婦長さんや他の看護師にも報告し、

さらにドクターにも伝えました。

 

 

 

ドクターは、

 

「そうか、うんうん。

あのね、何万分の1かの確率で両親の血液型の組み合わせから生まれるはずのない血液型が生まれることが実はあるんだよ。

だから、まずはその話をご両親にしよう。それで、ご両親の血液型をもう1度調べることと、赤ちゃんとお父さんの遺伝子検査をすることが出来るけれどどうしますか、と提案してみよう。」

 

と言いました。

 

 

 

 

 

 

 

そ、そうだったのかーΣ(゚Д゚)!!

 

 

 

 

 

 

 

お恥ずかしながら、若輩者だった当時の私は、生まれるはずのない血液型の子が生まれることがある、ということを知りませんでした。

そして、お母さんのご様子から考えて、とても嘘をついているようには思えなかったので、

「きっとそれだ!」と感じました☆

 

 

 

後日、ドクターからお父さんお母さんにお話をしました。

お父さんは最初少しムスっとしたような納得がいかないような表情をされながら話を聞いていましたが、ドクターの説明を聞き少し表情が柔らかくなったようでした✨

そして、どうしてもきちんと確かめたいから、ということで、

赤ちゃんとご自分の遺伝子検査を希望されました。

 

 

 

検査を受けられてすぐ、

赤ちゃんの健康および発達状態も良いということで退院が決まりました。

遺伝子検査の結果が出るまで3~4週間かかるということで、

検査結果が出る前に赤ちゃんは退院となりました。

 

 

退院の日、

ご両親はお2人揃って赤ちゃんをお迎えにきました。

お母さんの表情は少し明るくなっていましたし、

お父さんとも普通に会話されていたので、私も少しホッとしました(*^_^*)

 

 

 

 

 

そして、後日…

 

 

 

 

検査の結果、お父さんと赤ちゃんは親子である、ということがしっかり証明された、ということをドクターから聞きました✨

 

 

 

 

 

 

あーーーー

良かったぁーー😆✨

 

 

 

 

 

 

 

お母さんの気持ちを思うと、本当に良かった!と、とても嬉しかったのを覚えています✨

あの時のお母さんは、大変な出産を終えたばかりでなく赤ちゃんがNICUに入院することになり、それだけでも心配で十分に辛かったはずです。

 

そこにあのような血液型の件で、身に覚えのないことをご主人やお義母さんに疑われて、本当に途方にくれたと思います。

産後は特にホルモンバランスが乱れて、精神的にも不安定な時期なので、尚更です。

当時はあんな質問をお母さんにしなければならず、私自身が本当にどきどきしてしまって、お母さんの精神的なフォローまで全然出来ませんでした😢

本当にそれは今思い返しても、ごめんなさい💦という思いでいっぱいになります。

 

そんな、反省や後悔込みのこの思い出は、生まれるはずのない血液型の子が生まれることがある、という事実と共に、私の記憶の中にずっとこれからも色濃く残っていくだろうな、と思います🌸

 

 

 

 

 

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