Be Freeなマイ日

かに座のさこ☆です。看護師&保育士をしています(*^_^*)

もう一人の健ちゃん NICUからの景色②

 

 

 

私がNICU(新生児集中治療室)に勤務していた時、入院している男の子の赤ちゃんに多かったのが健康の「健」の字がつくお名前でした。

中でも、「健太くん」「健介(輔)くん」「健くん」はとても多く、親御さんの「元気で健康に育ってほしい✨」という強い想いが伝わってきました。

 

 

前回はそんな「健ちゃん」のお話を書きましたが、今回もNICUに入院してきた

″もう1人の健ちゃん″

のお話です(*^_^*)

 

 

 

 

その日も救急隊から急な入院要請がありました。

 

 

「公園の公衆トイレで出産された男児の受け入れをお願いします!」

 

 

公衆トイレΣ(゚Д゚)!?

 

 

衝撃的な要請内容でしたが、詳細はわからないままとりあえず受け入れの準備に入ります。

入院準備をしながら、ドクターや他の看護師とも

「急に産気づいて、間に合わずにトイレで産んじゃったのかなー💦」

などと話しながら、到着を待ちました。

そうして数十分後、タオルと保温用のアルミシートにくるまれた男の赤ちゃんが運ばれてきました。

出産後、便器の中に落ちてしまったΣ(´∀`;)⁈とのことで、急いで体を綺麗に洗い、低体温にならないようすぐに保育器の中で保温を開始しました。

幸い、入院時の全身状態は良く、元気に泣き声をあげていましたが、なにせ公衆トイレの便器という決して衛生的ではない場所に生まれてしまったこの赤ちゃん。

ドクターも様々な感染症のリスクがあると考え、すぐに抗生剤などの投与を開始しました。

 

入院の翌日からはミルクもごくごく飲み始め、保育器の中で元気に泣き声をあげる姿が見られました✨

そしてその後も、全身状態の管理と毎日の抗生剤投与の甲斐もあり、その男の子は感染症を発症することなく元気に経過しました👶

 

 

 

一方、私たち医療者が気になったのはお母さんの様子です。

入院後にわかったことですが、この時30代後半だったお母さんは未婚で、妊娠に気付かないまま過ごしている内にお腹が大きくなり、妊婦健診にも行かないまま急に陣痛が来てしまって、公衆トイレに駆け込んで出産した、というお話でした💦

 

 

お母さんは、赤ちゃんが入院してから2~3日後に初めて面会にいらっしゃいました。

面会中、お母さんは泣いている赤ちゃんをおそるおそるのぞき込み、看護師が「触ってあげてください」と促すとほんの少しだけ手に触れましたが、赤ちゃんの状態や様子をお伝えしても、無表情で何となくぼんやりとした表情です。

私たち看護師は、そんなお母さんの様子を見て、″まだ出産したという現実を、上手く受け入れられないのかな・・・″と少し心配になりました(>_<)

実際NICUには、突然の出産や自分の子どもが入院したことをすぐには受け入れられず、赤ちゃんに対してなかなか愛情を持てない親御さんが少なくないのです。

 

 

しかしそんな私達の心配をよそに、その後お母さんは毎日面会に来てくれるようなりました✨

産科で絞った母乳を赤ちゃんに飲ませてもらうと、ぎこちない手つきではありましたが、はにかんだような幸せそうな表情を浮かべています🌸

お母さんがだんだん、本当に「お母さん」になっていく過程が見えた気がしました。

 

 

そうして、赤ちゃんは「健ちゃん」と名付けられました👶

 

 

「健ちゃん」は、トイレで産まれた、という伝説(笑)を持っているのが信じられないくらい、色白でまつ毛の長いとってもキレイな赤ちゃんでした✨

お母さんは面会に来るごとに健ちゃんへの愛情がどんどん強くなっていったようで、退院の日は可愛くて可愛くて仕方がない、といった様子で健ちゃんを抱っこし、おばあちゃんと一緒にご自宅に帰られていきました。

 

 

退院後、健ちゃんとお母さんがどのように過ごされたのかはわかりません。

未婚で高齢出産だったことも考えると、もしかしたらその後の子育てでご苦労されたかもしれません。

 

 

ただ、健ちゃんを大切そうに本当に愛おしそうに抱っこして退院されたお母さんの姿は愛情に満ち溢れていました✨

お母さんにとって予期せぬ妊娠で、しかも大変なハプニングに見舞われた出産だったかもしれませんが、私達看護師にとっては、親子の愛情が結ばれる瞬間が見えたNICUでの大切な思い出の一つになりました。

 

 

どうか今でも健ちゃんとお母さんのご家族が、元気で幸せに過ごされていますように、

心からお祈りしています✨

 

 

 

 

 

 

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NICU(新生児集中治療室)からの景色①

 

 

NICU(新生児集中治療室)という

小さく生まれたり、病気を持って生まれてきた赤ちゃんを集中的に治療する施設があります。

ドラマ「コウノドリ」などでも出てくることがありましたが、保育器が何台も所狭しと並び、様々なモニター音が鳴り響くお部屋、それがNICUです😊

 

 

 



 

私は看護師の新人時代、何年間かそのNICUに勤めていたことがあります。

 

病院というのは、生死や人生そのものに関わる場所ですから、ただでさえドラマティックな出来事の多い場所なのですが、NICUもそういう意味では毎日色々なドラマが生まれる場所でした🌸

 

 

その中でも印象だった出来事を、幾つか書かせて頂こうと思います✨

 

 

 

 

 

ある日の夜勤中、市内の産科から「急な出産で生まれた超低出生体重児の受け入れをお願いします」と連絡が入りました。

超出生体重児、というのは生まれた時の体重が1000グラム未満の赤ちゃんのことをいいます👶

聞くとお腹の中にいた期間も22週(正常であれば10か月間胎内にいるところを6か月)と、とても短く、心臓や肺はもちろん全ての機能が未熟な状態です。

お腹の中にいた期間(在胎週数といいます)が22週、というのは当時の新生児医療の現場では生きられるかどうかギリギリの週数でした💦

 

当直の先生も「在胎週数から考えて助けられるかどうかわからない」という感じで、とりあえず手を尽くそうと入院を受け入れたようでした。

 

 

そうして移動式の保育器で運ばれてきたその赤ちゃんは、わずか体重680グラムの男の子でした。

到着した時は全身状態も悪く、全身のチアノーゼや低体温の状態にありました。

すぐに人工呼吸が装着され、様々な救命措置が行われた結果、その男の子はちょっと信じられないくらいの順調な回復と成長度合いでみるみる元気になり、本来の出産予定日から少し過ぎたくらいのタイミングで元気に退院することが出来ました✨

 

 

この男の子、実は一度は「生きられないだろう」と医師から匙を投げられていました。

在胎週数22週というのは当時助からない可能性が高いと言われていたため、産科の先生はお母さんに「もう陣痛を止められないのでこのまま出産になりますが、赤ちゃんはおそらく生きられないと思います。」と伝えたそうです。

きっと、お母さんもものすごく辛い気持ちで分娩台に上がるしかない状態だったのだと思います。

そうしていざ出産になり、生まれてきた赤ちゃんはやはり呼吸をしていませんでした。

22週では呼吸機能がとても未熟なため、自分で呼吸するのは非常に難しいのです。

ましてや、元気な赤ちゃんが生まれたばかりの時にするような「元気な産声をあげる」なんていう力強さは22週の赤ちゃんにはありません。

 

 

 

しかし、この男の子は呼吸をしていない状態で生まれた直後、数分後になんと自分で「産声」をあげたというのです!

その声を聞いた産科の医師が大慌てで赤ちゃんの救命措置を行い、保育器に入れて、NICUに連絡をした、ということでした。

そうして、その男の子は助かったのです👶✨

 

 

 

 

その子がNICUに入院して状態が落ち着いた頃に、お母さんと出産時のお話をする機会がありました。

お母さんは「もう赤ちゃんは助からない、と思っていました。だからもう本当に諦めるような気持ちで出産に臨んだんです。だから、この子が泣いてくれて、慌てて先生たちが処置しているのを見た時は本当に信じられないような気持ちでした。」と話されていました😲

 

 

その男の子は元気に健康に育ちますように、という思いを込めて

「健ちゃん」と名付けられました。

今思い出しても、何か目に見えない力に守られているかのように、健ちゃんは本当に生命力の強い子だったなあ、と思います。

まさに奇跡です✨

そんな健ちゃんも、今頃はもう成人して立派な大人になっているはずです。

どうか幸せで充実した毎日を過ごしていてくれたら、と願っています☆

 

 

そして…

余談ですが、NICUでは

「元気で健康な子に」という願いを名前に込める親御さんが多く、

男の子に健康の「健」という字を付けられることがとても多かったように思います。

女の子には「愛」という字が人気でした💕

健康に育ってほしい、愛らしく愛される子に育ってほしい、NICUに入院される赤ちゃんにはそんな親御さんの願いや思いがものすごく強く込められた名前が多かったなーという気がします✨

 

 

 

次回のブログ「NICU(新生児集中治療室)からの景色②」では、とても印象に残ったもう一人の「健ちゃん」について書きたいと思います。

 

 

 

 

 

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なかなか手ごわい適応障害

 

 

転職先の保育園が合わずストレスを抱えたことと、そこを引き金に夫への拒絶反応が突然出現したことの、2つの要因から適応障害を発症した私でしたが、スピリチュアル カウンセリングを受けた数日後には休職していた保育園への復帰が迫っていました。

 

 

 

当初見られていためまいや動悸、不安症状はだいぶ落ち着いていたものの、適応障害を起こすきっかけとなった職場です。

正直、復帰にはかなり不安がありました(;一_一)

ただ、夫と別居し子供2人を養わなければならないことを考えると、やはり正職員で雇ってくれる職場はそれだけでもありがたい存在です。

しかも、適応障害で休職していた3か月の間も基本給だけは支給して頂けたので、経済的にも精神的にもものすごく支えてもらっていたのも事実でした。

 

 

 

保育園勤務なのに、看護師だからという理由でおむつ替えや食事介助をさせてもらえず、大好きな子どもたちとの関わりが制限されているような環境は、私にとってとてもしんどく受け入れがたいものでしたが、

生活のため、自分の家族を守るために

「自分の心持ちさえ変えれば、なんとか働き続けられるかもしれない」

「とにかく割り切って働こう」

と心に決めて、復帰の日重い心にムチを打って出勤しました。

 

 

 

 

 

しかし…

結果、全然ダメでした…( ;∀;)

 

 

 

 

 

 

保育園が近づくだけでも動悸がして、中に入るとそれはさらに激しさを増し、園長先生や他の先生たちと話している間にものすごい勢いで視界が回り始めました(@○@)💦

ぐるんぐるんめまいが止まりません💦

さらに、強い不安感が次々と襲ってきて手足がどんどんと冷たくなります。

もう立っているのがやっとです。

 

 

 

 

「こりゃ、だめだ (-_-;)」

 

 

 

 

 

 

私はさすがに観念しました。

自分がどうしても「適応」出来ないことをはっきりと自覚した瞬間でした。

生活のことも家族のことも頭をよぎりましたが、無理をしてここに居続けたら絶対に自分が壊れる、ということがわかり、私は退職することを決めたのでした。

 

 

 

 

 

夫と別居し、退職したことで私はまったくの無収入になってしまいました。

他の就職先を探したくても、適応障害の症状が再び強く出てしまったことで不安が強く、すぐには求職活動をする元気も勇気もありません。

飲まずにすんでいた抗めまい薬や精神安定剤の内服も再び必要になってしまいました。

 

 

 

 

 

 

「たぶん、今の私はどん底状態、というヤツなんだろうな…」

 

 

 

 

 

 

しかし、不思議なことに、実は私はそこまで落ち込んでいませんでした。

 

客観的に見て、なかなかにどん底な状態なのは自覚していましたが、抑圧されていた夫からもその保育園からも解放されて、むしろ

 

 

 

 

「生き返ったーーーーーー(∩´∀`)∩!」

 

 

 

 

みたいな気持ちになっていたからです(笑)

自分が自分でいられないような場所に居続けることを選ばず、そこから脱出できた自分を誇らしくさえ思っていました✨

生活の不安よりも、そっちの気持ちの方がずっとずっと大きかったのです(*^-^*)

 

 

 

 

 

調べてみると、

適応障害は、「原因となるストレスがなくなれば6か月以内に回復する」といわれています。

私の場合、休職して復帰するタイミングでまた症状が再発してしまったので、回復が少し延びちゃったなー、という感じがしていますが、それでも6か月と少し経った現在では薬に頼らずに生活が出来るようになりました。

仕事も少し前から重症児童デイサービスで看護師として働き始めています。

 

 

 

 

自分が自分でいられる場所

自分に嘘をつかずに生きられる生き方

 

 

 

 

それがどれだけ大切なことなのかを、適応障害になったこの半年で痛烈に感じたのでした✨

 

過去世から今世へ 別居夫への気持ちの変化

 

スピリチュアル カウンセラーの先生とお会いして、夫との過去世を聞けたことで、今世での心の整理はかなり進みました。

魂が別々のステージになるのであればそりゃ一緒にいられないよね、と、ものすごく腑に落ちたからです。

 

 

しかし、理由は腑に落ちたものの、夫に前世で拷問されていた、という話を受け入れるのにはさすがに時間がかかりました(*_*;

別居後は夫との直接の連絡を絶っているのですが、弁護士さん経由で聞こえてくる夫の言葉や様子がどうしても前世の話と重なってしまうのです💦

 

 

たとえば、夫が別居中の婚姻費用(こちらの生活費)を出したくない、勝手に出て行ったのだから払う義務はない、と言ってるという話を弁護士さん経由で聞いたりします。

すると、私の心の中に

「拷問してたくせに!」

「また自分のことしか考えていない!」

みたいな気持ちがどうしても湧いてきてしまうのです(;一_一)

 

 

 

でも、こんな気持ちになってしまうのは、私自身にとっても良い影響はないだろうな、というのを何となくですが、気づいていました。

拷問は前世での出来事ですし、(今世でもDVに近いことはありましたが💦)

向こうに前世の記憶はないわけですし、そもそもそのようなマイナス感情が私の人生にプラスに働くはずがないだろう、ということを薄々わかっていました。

 

 

それで、そこから私はとにかくスピリチュアルなことをもう少ししっかり学んでみようと、猛烈に勉強し始めました!

スピリチュアルカウンセラーの先生を紹介してくれた幼なじみのNちゃんも、沢山の関連本を貸してくれたり、お勧めの動画を紹介してくれたりして、私のスピリチュアルな意識は急速に進んだと思います。

 

 

そうして色々な勉強をするうちにわかったこと☆

 

それは、誰しも過去世を何度も経験する中で、誰かを傷つける立場になることもあり、また、傷つけられる立場になることもあり、両方を経験しながら魂を成長させていくのだ、ということでした。

そして、今世だけで考えても、私から見ると夫は確かに「私の人生を邪魔する人」「私の大切なもの(夢や子どもたち)を大切にしてくれなかった人」ですが、夫の立場からしたら私もまた「突然子どもたちを連れて、自分を捨てていった人」になるわけです。

そう考えると、私は別に一方的な被害者ではないし、見方によっては加害者にもなり得るんだな、と。

夫を恨んだり、責めたりするのは止めよう、そう自然と思うことが出来ました。

 

 

そして、そこから数か月たった今では…

 

 

 

夫のこれからの人生が幸せなものであってほしい、と心から思えるようになりました。

まあ、まだ離婚は成立していないんですがね(笑)

でも、「私も幸せになるから、君も頑張ってくれ!」みたいな感じで思うことは出来るようになったのです(*'ω'*)

本当は「私の人生に登場してくれてありがとう!感謝☆!」みたいなところまで行ければ良いのですが、子どもの面会交渉や養育費の問題などでもめておりまして、まだその境地までは行けていません(笑)

早く心から感謝できるようになれたら良いなぁ…と思う毎日です🎵(*^_^*)

 

 

 

夫との別居=魂からの強制終了のお知らせ

 

 

 

過去世で私を拷問していた夫が、今世では運命の人。

そうスピリチュアル カウンセラーの先生から聞かされ、大きな衝撃を受けた私でしたが、ぐるぐると混乱しながらも″そんな運命の人ならば、じゃあなんで別居することになったんだろう?そうだ!それを聞かねば!″と本来の目的を思い出しました。

 

そんな私の思いを察したように、先生は話を続けました。

 

 

 

「今の旦那さんは、確かに運命の人です。しかし、言い換えれば″因縁の人″とも言えますし、カルマを解消するために出会った相手です。

 

本来であれば、お互いの魂を成長し合うべく出会った相手ですから、共に成長出来れば最後まで添い遂げる、という道もありました。

 

しかし、結婚してからも旦那さんは何度も成長するチャンスがありながら、ことごとくそのチャンスを逃してきました。心当たりないですか?」

 

 

 

 

!!(゚Д゚;)!!

「めちゃくちゃあります!!」

 

 

 

そうなのです、本当に夫の″人としての冷たさ″に何度悲しい気持ちになったことか・・・。

満員電車でもわれ先にと席を陣取り、わざと荷物を置いて他人を座らせないようにしたり…

人助けをしようとすると

「そいつが困ってるのは、自分の努力が足りないんだから力を貸す必要はない」とばっさり切り捨てたり…。

自分の子どもに対しても、自分が間違ったことをした時も絶対に謝らず、見るに見かねて私が謝るように促すと「なんで俺が子どもなんかに謝らなきゃいけないんだ!二度と俺に指図するな!」と怒鳴ったり…。

まあ…それはそれは、一緒にいると私の心まで深く暗い穴に落ちていくような、そんな悲しい思いを沢山してきました(~_~;)

 

 

先生は、頷きながら言いました。

 

 

「こう言ってはなんですが…

旦那さんの器、人間としての器、めっちゃちっちゃいです。

 

今回、さこさんは魂のレベルが上がる段階に来ていて、″もうこれ以上待てないよ″ということで、旦那さんとは違うステージに行くためにもう一緒にいられなくなったのです。つまり、タイムリミットです。

 

ですから、さこさんの旦那さんへの拒絶感の現れ、そして、別居するに至ったのは、そんな魂からの強制終了のお知らせでした。」

 

 

 

 

 

はぁ~~~~~~💦

な、なるほど・・・

 

 

 

その話を聞いて、まだまだ混乱しながらも、なんだか妙に納得してしまいました…。

 

 

夫は、看護師である私が保育園で勤務することに対して否定的で、

「よく他人の子の世話なんてしようと思うな、俺なら絶対嫌だけどね」と言い、

自分達の子がまだ幼い時には、

「自分の子を人に預けて、他人の子の面倒を見るなんて気が知れない」と言われたこともありました。

また、私が保育園看護師の役割を全うしたくてパート勤務からフルタイム勤務への変更を希望した際には、家事がおろそかになるからといって、許してはくれませんでした。

そういう意味で夫は、私が"やりたい、もっと成長したい"と思ったことを応援してくれる存在ではありませんでした。

 

 

 


そんな夫の存在を私は

「自分の人生にはもう必要のない人だ」

「もう一緒にいられない」

「このまま一緒にいたら、私の人生が侵食されてしまう」

と、感じていた自覚がありました。

どうしてそこまで思ってしまうのかはわからなかったものの、私の中には確かにそういう思いが芽生えていたのです。

 

 

ですから、先生の話を聞いて

 

 

 

 

 

それならもう、仕方ないな

別れるべくして別れが来たんだな

 

 

そう心から思うことが出来ました(´-ω-`)

 

 

 

 

そして、思い出していました。

私が子どもたちと一緒に出ていく、と言った時の夫の怒り狂った様子を、

血走った眼を、

力づくで私の腕を掴んで押し倒してきたその凶暴性を。

 

 

夫が怒り狂い、私に詰め寄ってきた時、私の体からはどこからともなく

「助けて助けて助けて助けて!」という悲鳴が聞こえていました。

目をつぶり、体を小さく丸め、耳を塞いで何もかも遮断しよう、拒否しようと、パニックになっている私の頭の中には

助けを求める声がずっと聞こえていました。

あれは、もしかしたら拷問を受けていた私の前世の記憶だったのではないか。

私の魂の叫びだったのではないか。

 

 

スピリチュアル カウンセラーの先生との話で、私がずっと抱いてきた疑問

″なぜ突然夫を受け入れられなくなったか″は、急速に私の中で解消されていきました。

 

夫に拷問されていた過去世

 
 
 
夫と別居に至った原因について相談した結果、
スピリチュアル カウンセラーの先生が視てくださったもの…
 
それは、
 
 
 
過去世で魔女狩りと称して拷問されている私
そして、拷問していたその人物こそが今の夫
 
 
 
という私達夫婦の姿でした(ill゚д゚)
 
 
 
 
 
茫然とする私に、先生はさらにこう続けました。
 
 
「本来魔女狩りというのは、魔女、なので女性に対して行われるものなのですが、
 その時さこさんは男性でした。
 しかし、"不思議な力を使うから、魔女と同じような目に遭わせてやれ"
 ということで拷問されることになりました。
 当時旦那さん自身も男性だったけれど、
 同じく男性であったさこさんに実は好意を持っており、
 その好意を"拷問"という歪んだ形で表していたようなのです。
 そして、拷問というのもただの暴力ではなく、
 いわゆる性的な暴行でした。
 旦那さんは、そうやって性的にあなたを押さえつけ支配することで、
 自分の欲望を満たしていたのです。」
 
 
 
 
 
 
……………………
 
 
(;゚д゚)……ぇぇ……
 
 
 
 
 
もうあまりの衝撃で言葉も出ません…
 
いくらなんでもひどすぎやしないか、夫よ…
 

ショックを受けながらも、私はやっとの思いで聞きました。

 
 
 
 
 
「そ、そんなひどい目に遭わされたのに、
 今世でなぜ結婚したのでしょう?」
 
 
 
それに対し、返ってきた先生のお返事はこうでした。
 
 
 
 
「その前世で、旦那さんは
 あなたに暴力的な形でしか好意を示せなかったことを深く後悔しました。    
 そして、あなたが″男ではなく女でさえあればもっと優しくできたのに、
 女でさえあれば幸せに出来たのに″と強く思っていました。
 その時代、同性愛は絶対に許されるものではなかったからです。
 今世では、旦那さんの
 ″今回こそは男女で生まれて一緒になり、幸せにする″
 という目的を果たすべく、二人で約束し同じ時代に落ち合って生まれてきています。
 
 
 そういう意味ではお二人は運命の相手と結婚した、ということになります。」
 
 
 
 
うぅぅーーーーー(*_*;
 
 
とにかく衝撃が大きすぎて、なかなか受け止めきれません。
 
 
その時の私の気持ちを表すとしたら…
 
 
″自分を拷問した相手と来世でまた一緒になろうだなんて、私、お人よし過ぎないか?″
 
 
でしょうか(笑)
 
 
 
 
 
運命の人、ってもっと綺麗で美しい過去世でつながっている相手だと思っていました
 
そんな運命の人って…
 
悲しすぎる…(´;ω;`)
 
 
                          この話、まだつづきます…
 

人生初☆スピリチュアル カウンセリング

 

幼なじみのNちゃんにスピリチュアル カウンセラーさんを紹介してもらい、実際にお会いできたのはそれから10日後のことでした🌙

 

 

 

 

怖そうな方だったらどうしよう…すごい厳しいことを言われたらどうしよう…?

と、内心かなり緊張していた私でしたが、実際にお会いしたカウンセラーの先生は、柔らかな雰囲気の、そして、どこか懐かしい感じのする方でした。

 

 

先生は開口一番、私にこう言いました。

 

 

 

「はじめまして。

そして、お久しぶりです。」

 

 

 

 

 

……………

……ん??????

 

 

 

 

私の頭の中に?マークが沢山浮かびました。

???????????????

 

 

久しぶり?

どゆこと?

知ってる?

…いや…会ったことないよ?

んーーー????

 

 

 

そんな私の様子を見て、先生はさらに言いました。

 

 

 

「実は前世で会ってます。

一緒に医者をやっていた時期がありました。さこさんに会う前に、さっきその時の私たちの姿が視えました。」

 

 

 

 

 

 

 

ひえ========

(;゚Д゚)!?

 

 

 

 

「そ、そうなんですか!?」

 

信じられない気持ちがしながらも、

そういえば、最初にお顔を見た時に

「なんだか懐かしい」と感じたことを思い出しました。

 

 

 

まじかー、まじですかー(゚Д゚;)

よくよく聞けば、出身地(現住所とは何十キロも離れている)も一緒で、

しかも、実家は同じ町内だったことが判明し、

「今世でも繋がってましたねー」

と言われて、なんだかしょっぱなからドキドキしてしまいました💓

 

 

 

そんな風にカウンセリングは始まりました。

 

 

 

 

「一番に聞きたいことは何ですか?」

と早速聞かれ、夫との間に起こった出来事について話しました。

 

 

 

こだわりの強い気難しい人で大変だったけれど、20年以上上手くやれていた。

それが、突然ダムが決壊するように感情が溢れ、もう絶対に一緒にはいられないという、強い拒絶反応が出て半ばパニック状態になってしまった。

病院を受診すると適応障害と言われ、今も精神安定剤を飲んでいること、夫のことを考えるだけで今でも体調が悪くなること。

これまでも確かに夫婦の間で嫌だったり悲しかった出来事は沢山あったけれど、自分の中でその都度乗り越えて夫と別れようと考えたことは殆どなかった。

それなのに、なぜ突然自分はこんな風に夫を受け入れられなくなったのか。

もう一緒には生活出来ないし、離婚しようと決めているけれど、どうして突然こうなってしまったのかということだけが、自分でも全然わからない。

とにかく、その理由が知りたいんです!と。

 

 

 

先生はゆっくりと話し始めました。

 

 

 

 

 

「実は、

先ほどお話した医師だった時の前世で、

さこさんは霊的な能力も高かったため、

患者さんを治療する時にもそういう力を使って人々を癒していました。

それによって沢山の人を助けていたのだけれど、

その当時、そういう不思議な力を使う人々は″魔女狩り″といって拷問されたり、

殺されたりしていました。」

 

 

 

 

 

 

 

 「そして…

 

    その時に

   あなたを拷問していたのが、

   今のご主人です。」

 

 

 



 

 

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

(はっ!?)(゚Д゚;)

 

 

 

 

(え!?)Σ(゚Д゚)

 

 

 

 

 

えええええええええーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!!!!

 

 

                

 つづきます…