NICU(新生児集中治療室)からの景色①
NICU(新生児集中治療室)という
小さく生まれたり、病気を持って生まれてきた赤ちゃんを集中的に治療する施設があります。
ドラマ「コウノドリ」などでも出てくることがありましたが、保育器が何台も所狭しと並び、様々なモニター音が鳴り響くお部屋、それがNICUです😊
私は看護師の新人時代、何年間かそのNICUに勤めていたことがあります。
病院というのは、生死や人生そのものに関わる場所ですから、ただでさえドラマティックな出来事の多い場所なのですが、NICUもそういう意味では毎日色々なドラマが生まれる場所でした🌸
その中でも印象だった出来事を、幾つか書かせて頂こうと思います✨
ある日の夜勤中、市内の産科から「急な出産で生まれた超低出生体重児の受け入れをお願いします」と連絡が入りました。
超出生体重児、というのは生まれた時の体重が1000グラム未満の赤ちゃんのことをいいます👶
聞くとお腹の中にいた期間も22週(正常であれば10か月間胎内にいるところを6か月)と、とても短く、心臓や肺はもちろん全ての機能が未熟な状態です。
お腹の中にいた期間(在胎週数といいます)が22週、というのは当時の新生児医療の現場では生きられるかどうかギリギリの週数でした💦
当直の先生も「在胎週数から考えて助けられるかどうかわからない」という感じで、とりあえず手を尽くそうと入院を受け入れたようでした。
そうして移動式の保育器で運ばれてきたその赤ちゃんは、わずか体重680グラムの男の子でした。
到着した時は全身状態も悪く、全身のチアノーゼや低体温の状態にありました。
すぐに人工呼吸が装着され、様々な救命措置が行われた結果、その男の子はちょっと信じられないくらいの順調な回復と成長度合いでみるみる元気になり、本来の出産予定日から少し過ぎたくらいのタイミングで元気に退院することが出来ました✨
この男の子、実は一度は「生きられないだろう」と医師から匙を投げられていました。
在胎週数22週というのは当時助からない可能性が高いと言われていたため、産科の先生はお母さんに「もう陣痛を止められないのでこのまま出産になりますが、赤ちゃんはおそらく生きられないと思います。」と伝えたそうです。
きっと、お母さんもものすごく辛い気持ちで分娩台に上がるしかない状態だったのだと思います。
そうしていざ出産になり、生まれてきた赤ちゃんはやはり呼吸をしていませんでした。
22週では呼吸機能がとても未熟なため、自分で呼吸するのは非常に難しいのです。
ましてや、元気な赤ちゃんが生まれたばかりの時にするような「元気な産声をあげる」なんていう力強さは22週の赤ちゃんにはありません。
しかし、この男の子は呼吸をしていない状態で生まれた直後、数分後になんと自分で「産声」をあげたというのです!
その声を聞いた産科の医師が大慌てで赤ちゃんの救命措置を行い、保育器に入れて、NICUに連絡をした、ということでした。
そうして、その男の子は助かったのです👶✨
その子がNICUに入院して状態が落ち着いた頃に、お母さんと出産時のお話をする機会がありました。
お母さんは「もう赤ちゃんは助からない、と思っていました。だからもう本当に諦めるような気持ちで出産に臨んだんです。だから、この子が泣いてくれて、慌てて先生たちが処置しているのを見た時は本当に信じられないような気持ちでした。」と話されていました😲
その男の子は元気に健康に育ちますように、という思いを込めて
「健ちゃん」と名付けられました。
今思い出しても、何か目に見えない力に守られているかのように、健ちゃんは本当に生命力の強い子だったなあ、と思います。
まさに奇跡です✨
そんな健ちゃんも、今頃はもう成人して立派な大人になっているはずです。
どうか幸せで充実した毎日を過ごしていてくれたら、と願っています☆
そして…
余談ですが、NICUでは
「元気で健康な子に」という願いを名前に込める親御さんが多く、
男の子に健康の「健」という字を付けられることがとても多かったように思います。
女の子には「愛」という字が人気でした💕
健康に育ってほしい、愛らしく愛される子に育ってほしい、NICUに入院される赤ちゃんにはそんな親御さんの願いや思いがものすごく強く込められた名前が多かったなーという気がします✨
次回のブログ「NICU(新生児集中治療室)からの景色②」では、とても印象に残ったもう一人の「健ちゃん」について書きたいと思います。
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